こんにちは、中村です。
国宝<松本城>へ行って来ました。
江戸時代以前に建造され、現存する天守が12あり、さらにその中の5城が国宝に指定されており、松本城はそのひとつ。様々なメディアお城ランキングでも姫路城と1,2を争う人気のあるお城です。
戦国末期、関ヶ原の合戦以前に作られたことから、実戦を想定した造りが随所に見られますが、幸運なことに、この城が実戦に使用されたことはありません。
それ故に1598年の完成以来、400年以上もの間、姿を変えること無く、現在へと受け継がれている要因のひとつでしょう。
白と黒の外観を、周囲の景色が引き立て、とても貫禄を感じます。
本丸東側にある「太鼓門」では、耐震補強工事が行われていました。
中央の門左側に、ひときわ大きな石が積まれています。
これは目立つ所に大きな石を使うことで、見る人に財力や技術力を誇示する目的があります。
松本城のこの石には、石を運んだ武将の名前から「玄蕃石」という名がつけられています。
実は松本城の地盤はあまり良くありません。
栂の丸太杭を支持地盤まで打ち、その上に丸太で骨組みを造ってから、その周りにこの石垣を積んでいます。
明治期に、内部の丸太が腐食した為に、天守が傾いてしまい、大修理が行われたとされています。
天守の一番上の梁に「二十六夜神」が祀られています。
<月齢26日におそなえをしておまつりすれば、城が栄える>というお告げあったといわれがあります。
現に、松本城が今まで災害にも合わず現存するのはこの神のおかげと言われています。
下の写真の左部分に赤い欄干の突き出た部分は<月見櫓>といわれ、こちらは江戸時代に、将軍をおもてなしすることを目的として増築されました。
よく見るとこの部分だけ石落しや、鉄砲を打つ狭間など、戦いの備えがありません。
これは戦国時代が終わり、城が戦いの場からおもてなしの場へと変化したことで、時代の移り変わりがわかる貴重な構造です。
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