代表取締役 西村が、エスホームの家づくりをすることになったキッカケとは?
エスホーム代表取締役 西村 寛。
1967年3月25日、栃木県鹿沼市で住宅会社を営んでいる両親の元に生まれました。
通った学校は、
- 鹿沼市立中央小学校
- 鹿沼市立西中学校
- 佐野日本大学附属高等学校
- 日本大学生産工学部 建築学科
- 日本大学 大学院 生産工学部 建築学科
この時の友達とは、今での良い友達付き合いをしています。
大学在学中に宅地建物取引主任者を取得しました。。
大学院を修了後、東京の住宅会社へ就職します。
この会社で、家づくりの基礎を学びました。
家づくりを学ぶ傍ら、社会人1年目にして1級建築士取得。
両親からの希望により栃木へ戻り、両親の経営する住宅会社へ入社しました。
4年程勤務するも、父親の家づくりへの想いと、仕事への考え方に疑問を抱き30歳にして退社することになりました。。
オーストラリア・ニュージーランドと約1年6ヶ月の念願の長期海外生活を経験することになります。
そこで見たライフスタイルは、派手さは無く思った以上に質素でしたが、
生活を楽しんでいるという点では日本とは全く違っていて衝撃を受けました。
約2年間ほど、まともな仕事をしていない時期がありましたが、この2年間には様々な事を経験することができました。
帰国後、家づくりに関するアプリケーションを作成しました。
多い物では75,000以上ダウンロードをされました。
その後、大手リフォーム会社へ勤務し、先輩方に助けられながらも新人賞を受賞。
社内営業キャンペーン大会でも、上位1割の中にいました。
私の担当していたエリアは以前撤退していた事もあり、そこでの成績は驚かれたものです。
リフォームを通して築20年以上のお家を1000棟くらい見る機会に恵まれました。
そこからの学びは多く、家の弱い所や、こうすればもっと使いやすくなる、という事を知りました。
リフォーム会社は順調だったのですが、
母が体調を崩し出身地である鹿沼へ戻る事となったのです。
鹿沼での最初の仕事は競売物件を落札し、販売する事でした。
競売と言う世界が有ると言う事は知っていましたが、一般の人もそのような世界に関わることになっていることを初めて知りました。
今まで、別世界の話しと思っていた事が栃木県内でも珍しい事ではないと言う事に驚いたのです。
競売にかかってしまった家の、小さな子供がいながら泣いている親子を見て疑問が涌きました。
他にも、せっかく家は建てたけれど返済に終われ貯金も出来ず、遊びにも行けない家族が多数いる事を知ったのです。
「なぜ、これらの家族はこのような思いをしなければいけないのだ?」
調べるうちに、返済に苦しんだり競売にかかる家は、
住宅メーカーがお客様から少しでも家づくりにお金をかけさせて行こうと言う姿勢が原因の一端を担っている事を知りました。
契約はしたものの、契約後の追加工事がお客様の思った以上に必要で、最終的に資金に無理が出るケースもあると聞いたのです。
「あの家族にとって、本当にあの家は建てなければいけない家だったのだろうか?」
これを疑問に感じ、その家族にとって最も適した家を建てていただくにはどうするべきなのか考えました。
多くの人が、
「新しいお家に住んだ後にも、生活を楽しむ事が出来る家づくり」
の新しい手法を考え出したのです。
現在、この新しい家づくりの方法により、実際に家づくりをしてからもじゅうぶんに楽しい生活をおくれる家づくりを実践し提供しています。
「住宅業界は、1組もの不幸な家族を作る産業であってはならない。」
と言う思いを強く持ち、家づくりに取り組んでいます。
東日本大震災以降、支援活動をする傍らで家を失ってしまった多くの方と出会い、
「家って何なんだろう?」
という新たな疑問が湧きだしました。
家はあるけれど帰れない人、
家は無いけれど帰る場所を求める人、
様々な方と交流を持ち、考えさせられ、
ひとつの答えにたどり着きました。
「家とは、帰る事の出来る唯一の場所である」
言い方を変えれば、
「家とは、安心して帰れる事が出来なくてはいけない場所」
であり、その家をつくるという事に対しての大切さを現在も学び続けています。
東日本再震災では、
南相馬市や石巻へ、
必要とされている物を届ける活動を続けています。
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